「二極化」を乗り越える
「運動をする子としない子」「体力の高い子と低い子」といった子ども達の運動時間や体力を巡る「二極化」が謳われて、すでに十数年の時を経ている。この「二極化」という区分けはそろそろ乗り越える時期にさしかかっていると筆者は感じている。「二極化」という言葉は、子ども達の状態を二つに区分し、問題を理解しやすくする点で大きな意味を持っている。とりわけ数値的に下位に位置づく子どもの存在を明らかにした点は、大きな影響があったと言える。ただ、もう一つの極に位置づく上位、あるいは中位の子ども達の問題が見過ごされがちでもある。上位や中位の子ども達をよく見ると、スポーツクラブに参加はしているものの、学習を通じて有意な知識や習慣が本当に身についているのか疑問に感じることもある。どの子どもにもそれぞれの課題があり、「運動をよくしているから」「体力の水準が高いから」と安心してはいられない。「個別最適な学び」が推奨されていく中で、「二極化」を越えた議論が必要であると考えている。
日本体育大学 近藤 智靖
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□巻頭言
「二極化」を乗り越える
日本体育大学 近藤 智靖
□第29回体育授業研究会熊本大会について
□事務局より
・ 年会費の納入のお願い
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